横行結腸がんの治療経過(その2)

 その2は入院から退院までの25日間の記録です。入院中「回復への記」として書いていた日記から要約して纏めました。

年月日 事  項 治 療 内 容 と 結 果 状 況 お よ び 感 想
.2008.10.22
(水曜日)
入院・手術の説明 .・入院:部屋に案内され看護師から説明を受ける
・手術の説明:担当の医師から説明を受ける
 横行結腸癌は腸壁2層までと予想される早期がん、ステージは0〜1だろう。従って 腹腔鏡手術により切除する。癌の程度は手術後の病理検査で3週間後に分かる。
 最後に、合併症(出血、縫合不全、肺炎、肺塞栓、腸閉塞 )の説明があった。
 日程
  24日手術、26日水OK、27日食事、
  29日退院   

*国立がんセンターのサイトの
  「2 外科療法 (3) 腹腔鏡手術」参照
 医師の説明には妻と娘が同席した。 説明は非常に丁寧で分かりやすく説明してくれた。
 説明書の中に書いた手術の略図を書き直すと右図のようになる。
 手術部分の傍に太い血管が2本あって取る範囲が大きくなるかもしれない。また腸閉塞の経験や前立腺がん手術の経歴から癒着が予想され、癒着がひどいと開腹手術に移行する場合もあるとのことだった。
 まさか自分が経験するとは思わないで聞いた合併症の縫合不全は確立2%で繋いだところがうまく付かない場合があり術後3〜4日でわかる。治療には一週間の絶食か再手術が必要になると説明された。
 大腸内視鏡検査で死ぬほど痛かったのは癒着が原因だったのだと気がついた。
 夜には手術チームの医師たちが挨拶に来てくれた。
 下剤を飲んで床につく。
10.23
(木曜日)
麻酔医の説明 この日は下剤を飲む
・麻酔医の説明
  全身麻酔の説明のほか、今回は硬膜外麻酔をおこなうとのことだった
 手術前日、麻酔医の説明は前立腺癌手術のときも受けたので落ち着いて説明を聞くことができた。
 変わったのはピンポイントで痛みを手術後も継続して取るのに使う硬膜外麻酔を使うことだった。脊髄への注射で手術後もそこに管を繋いだ状態になるらしい。少し抵抗を感じたが仕方がないと感受した。
 15時ころにムーベンを飲みトイレ通いが始まり、寝るまでに10数回通った。
10.24
(金曜日)
手術 8;30 鼻から胃へ管を通す。
8;45 病室を出て手術室に歩いて向かう
麻酔医から硬膜外麻酔、全身麻酔を受ける
14;30 手術終わる
15;00 妻たちが医師から説明を受ける
15;20 手術後の病室に移る
 麻酔の部屋に入って、最初に硬膜外麻酔を受ける。最初に痛みを止める局部麻酔の注射が痛かったが、後はスムースにいったようだ。
 全身麻酔に移り、麻酔医と看護師の「何ミリ投入・・・」などの声を聞いているうちに意識がなくなった。
 名前を呼ばれて目を覚ましたら看護師の顔が見えた。手術が終わったのである。
・家族が医師から説明を受ける
 癌でも初期段階でステージは0〜T、手術の時間が伸びたのは癒着がひどく、その処置に時間が掛かったためという。(左側の癒着はそのままになっている)
 切り取ったのは10cmぐらい
問題の部分は2cm程度と現物を見ながら説明を受けたと後日妻から聞いた。
*大腸がんのステージ
国立がんセンターのサイトの「4、病気と生存率」参照
 ステージにはデュークス分類とステージ分類がある。
   ステージ分類
  0期: がんが粘膜にとどまるもの
  I期: がんが大腸壁にとどまるもの
  II期: がんが大腸壁を越えているが、隣接臓器におよんでいないもの
  III期: リンパ節転移のあるもの
  IV期:腹膜、肝、肺などへの遠隔転移のあるもの

手術後病室に戻ってきた私は管だらけになってました。
 10.25
(土曜日)
手術翌日 歩行する
・夜から痛みが強くなる
・胸と腹部のレントゲン
 手術後1日目、看護師に勧められて2度ほど歩いてみた。腹部が痛いが50〜100歩ほど歩けた。
 夜19:00ごろから腹が痛くて苦しくなり痛み止めの点滴を足してもらう。
移動用のレントゲンを部屋に持ってきて胸と腹の写真を撮っていった。
10.26
(日曜日)
CT検査 ・縫合部分の炎症
・血液検査
・レントゲン検査
・CT検査
 手術後2日目、この日は一日中痛みとの戦い。
 昨夜から引き続いて痛み、続けて痛み止めを点滴に加える。
 朝9時、血液検査のため採血と再びレントゲン撮影、12時近くベットでCT室に移動しCTを撮る。
 医師から縫合部分が炎症を起こしているとのこと、硬膜外麻酔(脊髄に繋いでいる管から)痛み止めを入れる。後は安静するように指示される。
10.27
(月曜日)
部屋移動 水分補給の許可が出る
・腹部のレントゲン
 手術後3日目、朝、オナラが出て痛みも少し楽になってきた。
手術後の部屋から一般病室に移動する。
 朝の回診があって水を飲んでもいいとの許可が出た。恐る恐る水を含んでみる。
 右写真の3Aという栄養剤の点滴が一日2本、他には抗生剤の点滴が朝夕2回を受ける日が続く。
10.28
(火曜日)
CT検査 ・CT撮影
  縫合不全がはっきりする。
 手術後4日目、また昨日より痛みが増えている。
 CT撮影に立ち会った医師から合併症の縫合不全と言われる、処置法は熱がないので自然治癒で治ると説明される。
 再手術かと不安を持っていたが自己治癒力で縫合部分が治るのであれば時間が掛かかり、少しの痛みがあっても頑張りたいと頼んだ。
 そのためには手術前の合併症の説明にあったとおり絶食を一週間ぐらい必要だといわれた。
10.29
(水曜日)
絶食 ・ドレーンを外す
・硬膜外麻酔を外す
 手術後5日目、昨日より痛みが少なくなった。朝の回診で腹のドレーンが抜かれ、抱えていた背中の硬膜外麻酔用の容器の中のモルヒネが無くなったので管とともに容器が外された。
 また痛んだらどうするのかと心配だったがその心配は無駄だった。体についている管はカテーテルと点滴だけになった。
 最初の計画でば今日が退院日だったのだがいつまで掛かるのかまったく分からない。
10.30
(木曜日)
絶食 ・カテーテルを外す  手術後6日目、朝の回診で尿管に繋いでいたカテーテルが外された。後は点滴だけの管が残っている。点滴も夕方から翌朝まで 腕に針を残し点滴を休止するので夜間は楽になった。
 夕方の回診では医師から「上手くいっているのでこのまま週明けまで絶食しましょう」と言われた。
 カテーテルを外したので粗相が気になってトイレ通いが頻繁になった。
11.4
(火曜日)
CT検査、流動食開始 ・採血
・CT検査
 CT検査の結果、腸管はつながっているとOKが出た。
・夕食から流動食の許可。
 手術後11日目、3Aの点滴だけの日が続いている。腹部のお臍の右側の部分がはれて固く痛い。そこが腸を繋いだところらしい。しかし、CTの結果は繋がったということである。
 この一週間、自然治癒が出来なくて再手術になるのだろうかなどと心配していたが本当に安心した。
 夕食から許可された流動食はインパクト(右写真)というたんぱく質などが入った234カロリーもあるヨーグルト味がする飲み物だった。
 この飲み物を一週間続けるようにと指示を受ける。
11.6
(木曜日)
重湯になった インパクトから重湯に変更  手術後13日目、昨夜は強烈な下痢が続いた。インパクトが合わない人がいると看護師が言っていた。朝は飲まないで回診のとき医師に話すと 昼食から重湯にしてくれた。
 栄養剤の点滴も一日1本に減り、続いていた一日2回の抗生剤の点滴も無くなった。
11.9
(日曜日)
3分粥になった 食事が3分粥に変更   手術後16日目、昨日まで食事は重湯である。
 回診のたびに「便は出ましたか」と聞かれていたが昨夜20時過ぎに待ちわびた便通があった。
 朝の回診で「便が出たそうですねお昼から3部粥にしましょう」といわれる。
 とにかく前に進んでいるのだ。
11.11
(火曜日)
5分粥になった 5分粥に変更  手術後18日目、3分粥になってから便が止まっていたが昨日整腸剤をもらって服用したら夜になって下痢が始まった。しかし、便があったと言う事でお昼から5分粥になった。
 同部屋の同じ手術を6日に受けた人が今日退院して行った。自分の不運を一瞬嘆いたが自己治癒力で立ち治るにはくよくよしてはいられないと自分を叱咤していた。
11.12
(水曜日)
全粥になった 部長回診  手術後19日目、朝の回診でお昼から全粥になると言われた。恐る恐る「今後の日程は?」と聞くと「熱が出ないようなら明日(13日)の昼から常食、 土曜日(15日)には退院も出来るでしょう」と思いがけない言葉が帰ってきて嬉しかった。
 この日は部長回診もあって医師から説明を受けたのち「炎症があったがもう大丈夫」 といってくれた。
11.13
(木曜日)
常食になった 常食に変更  手術後20日目、朝食から常食になった。とてもではないが食べきれないし、怖いので良く噛んでいると食べるのに20〜30分もかかる。
 点滴用の腕に刺した針が抜かれ、体には何も繋がるものが無くなった。
 相変わらず回診のたびに「便はどうですか」と質問される。
 便の出が不順なのは腸がリズムを取り戻していないからだと説明された。
11.15
(土曜日)
退院 いよいよ退院の日  手術後22日目、朝の回診で主治医はじめチームの医師たちから退院のお祝いを言われた。
 本当によく面倒を見てくれてここまで回復させて戴いたこと に感謝している。まだ腹部の腫れがあるがいずれ数ヶ月経てば散ってしまうらしい。
 外の秋景色はもう過ぎかかって落ち葉が風に舞っている。 9年前の前立腺がん手術後の退院のときと同じ感覚が蘇ってきた。
 まだ暫く生きることが出来る。与えられた人生を確実に生きていこうと誓いながら車窓を眺めていた。



●最近の情報
 :全国がん(成人病)センター協議会治療5年後の生存率を公表(2008.10)
 :「全国地域がん診療拠点病院一覧表」
国立がんセンターの各種がん解説にリンク
あべ内科・消化器科クリニック